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病を得ても病人にならないで欲しい

  • 執筆者の写真: Harumi Nakahara
    Harumi Nakahara
  • 2017年10月17日
  • 読了時間: 2分

私が心と体の綺麗と健康について、ずっと考えてきたのは、重度のリュウマチで、通常なら歩くことも出来ないとされていた祖母の生き方を見ていたからです。

父方の祖母山野愛子からは美道を、母マダム路子からは魅力学を、受け継ぎましたが、生きることの静かならがら強い意志と美しさを教えてくれたのは、重い病を持った。母方の祖母でした。


祖母は戦後の出産を機に、起き上がれなくなるほどの状態ながら、這いずり回って、床を掃いたり、椅子に座って料理をしたりと子供を育てて来る中で、自分のカラダを甘やかせず家事の中で、自分を鍛え、食事でカラダを癒し普通の人以上に主婦として立ち動いていました。

そして、孫である、私たちも祖母に育てられてきました。大人になって考えてみると、身体障がい者が家のなかにいて、その人に、家事、育児をしてもらっていたのですが、祖母はあまりに自然で、いつも静かに笑っていて私の話をうんうんと、聞いてくれていたので、健常ではないという意識をした事がありませんでした。

一人では、家から一歩も出られないような祖母でも居住まいを正し、食事を整え、孫を育て、次世代を育てるという、社会に貢献してくれたすばらしい生き方を見せてくれました。

その姿から学んだこと

美しさとは、見た目の美しさを競うことではなく、自分の生きかたに責任を持ち、自分の出来る精一杯で他者への貢献を考えそして行動するということ。

それは、自身の心のあり方から、何を食べ、どう動き、どんな言葉を発し、誰に微笑むのか。シンプルな毎日の営みの中で、自分を大切にしながら、周りに何か一つでも心を配ること。

祖母は、病を得て健常者と同じような人生は送れなかったけれども、病人ではありませんでした。自分の病、痛みに向き合い、時に苦しみながらも、病人として、臥して人生を送ることなく、自分の体を慰め、病と共存しながらも、周りに大事なことを伝えてくれていた。

素晴らしい魅力人でした。美しい人でした。

病を得たときに、病に自分を支配されないでいてほしい。

そして医療は近代文明の素晴らしい知恵ですがそれに甘えないでいてほしい。

自分の生き方、自分の心と、カラダに自分で責任を持つということ。

生きるということに、もっと真剣になるということ。

病のおかげで、自分の生命に感謝出来、まわりに、宇宙に一つでもお返しができるとこ。

病こそが、私たちを輝かせてくれるチャンスと思えるようでいたい、と思っています。

魅力人でいこう

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