魅力学®出版記念セミナー
- Harumi Nakahara
- 2017年11月2日
- 読了時間: 4分
魅力学とはなにか? 定義はきちんとあるのですが、今回会長のマダム路子がシンプルな一言でお伝えしました。 10月30日 魅力学の電子書籍出版記念にて魅力学セミナーを開催しました。

一般社団法人としての活動の報告とともに、公益財団法人化を目指し魅力学の伝承と社会貢献をミッションに掲げていることも集まった50人余の皆様にお伝えしました。 新しく理事に就任された方も会場にいらして、各分野で一家言ある皆様のお名前が数十人に渡りご紹介されましたあとに理事の代表としてご挨拶をさせていただきました。 「なぜ私が、理事の代表なのか?実は理事の中でも一番長く魅力学を会長から学んでいるから。なんといっても生まれる前からその理念を学んでいたんです」と

会場を「?」のうずに巻き込みました その訳は? 魅力学のスタートは55年前に遡ります。
「日本にも本格的なレビューを」と、西は宝塚が東京には日劇ミュージックホールが産声をあげた時代。日劇ミュージックホールを立ち上げた、丸尾長顕氏の門をたたいた会長マダム路子、当時22歳の独身品川路子時代のことでした。

チャーモロジストという言葉と魅力学という新しい概念で、丸尾氏の秘蔵っ子として、マスコミにデビューしたのです。 そして、あっという間にテレビや雑誌で活動し、美容家である山野愛子と審査員として席を並べるまでになり、山野家の次男と結婚することになるのですが、23歳にはすでに妊娠。
その時にお腹の中で魅力学を聞いていた!(笑)のが、私の学びの始まりということなのです。 華やかなマスコミで活躍する母ではありましたが、脳性麻痺の兄の世話をした子供時代を過ごし、戦争中には疎開先の富山で空襲も見舞われました。 病身の兄と幼い弟と祖母の4人で、皆が逃げる混雑の方はとてもこの4人では歩けないと判断し、祖母は幼子3人を連れて、危ないと言われた方向に逃げたそうです。 なんと、安全と思われた方には爆撃が来て、危ないと思われた方に逃げた母たちは奇跡的に助かったという経験もしました。 その中で人間の死生観を少女時代に培ったのかもしれません。子どもの私にも生きていることの奇跡を繰り返し語ってくれました。 そして、家族の死、家族の重い病気、を経験したことから、生きることの意味、生きているという状態そのものが、選ばれた特別な奇跡を体現しているということなのだと。
セミナー中の質疑応答で 「なぜに、マダムはいつもミッションに熱く邁進できるのですか?」との問いに 「だって、生きているんだもの、最期の時までは活きていたいから」 私は魅力学とは究極その一言に尽きると思うのです。 命のある限り、最後まで自分を諦めず、自分を活かしきる。自分とはなにか、自分をどう生かすのか? 人はあまりにも簡単に死を迎えることもある、。 爆撃だったり、病だったり、 そう、妹も42歳で逝きました。 なぜ?と問うても答えはでません。 解っている真実は、私たちはまだ生きている、生かされている、ということ。 ならば、活かしていきませんか?というのが、魅力学の問いかけ。 「出来ないことを出来るようになる事が魅力学。自分の可能性を捜し続けること」ともマダムは話しておりました。 もちろん、その可能性の探し方、磨き方、輝かせ方、そして他者を照らしていく光輝く存在になる事まで、方法論深めて行きます。 私自身はご挨拶の中で、18年も海外に暮らし魅力学®をNY支部という形にて提唱をしてはいましたが、日本を離れ母のそばにもいない時間が長かった間に、 友人として協力してくださったり、娘が母をいたわるように支えてくださったり、または、事業家としての苦言を呈してくれる方など、会長マダム路子の魅力学®を沢山の方々が応援してくださったお陰で、国際魅力学会が育って来たことを感謝するとともに これからの時代は、自分を活かし他者を輝かせる魅力人の存在が不可欠になるとして、魅力学の伝承をしていきたいと、理事代表として改めて皆様にお伝えしました。

魅力学も生き物のように、成長していくと思います 会員募集も始まり、様々なイベントやセミナーも開催していきます どうぞ一度HPをご覧になってみてくださいね。
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